【今回の取材地】
面積:61.86㎢
総人口:749,960人
人口密度:12,124人/㎢
隣接自治体:江東区、品川区、世田谷区など
(2024年5月1日時点)
概要
高度成長期から日本経済を支えてきた日本の製造業は、2020年においても国内総生産(GDP)の2割を占め依然として稼ぎ頭だ。しかしその事業者数は1998年の31万9195件をピークに2020年には57%減少の13万6241件となり、従業員が4人~29人程度の小規模な町工場の数にいたっては1998年~2020年において57%も減少。業界全体で厳しい状況が続く。従業員の高齢化・施設の老朽化・人材の確保・DX化への対応不足、そして顧客が限定していることなど、課題は山積みだ。
そんななか、小さな町工場が集積している東京都大田区において新しいビジネスを開拓しようとする動きが生まれている。「ベンチャーフレンドリープロジェクト」と呼ばれるこのプロジェクトは、町工場にとっては新規顧客の獲得、ベンチャー企業にとっては技術的、経営的ノウハウを事業の実現可能性を高めるリソースとして活用できる。
高い専門性があることを「自覚」して新しい顧客を獲得
「設計図を紙飛行機にして飛ばせば、どこかの町工場が製造してくれる。それくらい近い距離に密集して、それぞれが高い専門性の技術を持っている。それが大田区の町工場です」。東京都大田区で開発設計を得意とする有限会社安久工機の常務取締役、田中宙(ひろし)さんは言う。
インタビューに答える安久工機 常務取締役の田中宙さん
田中さんは2017年に安久工機に入社。「ベンチャーフレンドリープロジェクト」の発案者だ。大学卒業後、会計ソフトの会社で営業職に従事していたが、30歳になったのを機に家業を継ぐことを決意した。
安久工機は0から1を生み出す「研究開発型」の会社だ。「試作 東京」などのキーワードで検索するような、新製品の開発を考えている顧客がターゲット。1969年の創業時から人工心臓を始め、業界を問わず様々なプロトタイプの設計実績があり、経済産業省の「世界トップクラスのベンチャー・中小企業7社」にも選出されている。
研究開発型の機構設計を得意とする安久工機の試作品
田中さんは祖父が創業した安久工機を継いだあと「大田区の町工場全体をリブランディングしたい」と意気込んだ。
大田区の町工場は、1970年代初頭に起きた二度にわたるオイルショックにより仕事量が減少。親企業からのコストダウンにも苦しみ、複数の企業から仕事を受注する方向転換を図った。生き残っていくための活路は、一社依存型から特定の分野に専業化することだった。その体制の変更が功を奏し、1976年には東京23区において工場数一位の規模にまで拡大。その後も堅調に伸び続け1983年には9190社へと到達した。
しかしそれがいまや4000社程度と落ち込んでいる。
ひしめき合う町工場。事業者数は全盛期と比べると大幅に減少。
「顧客目線で考えると、どの町工場がどんな技術を持っているのか、どこの発注先が最適なのかが、分からないんですよね」と田中さんは言う。一口に町工場といっても、材料は一般的な金属や特殊金属なのか、加工方法は切削なのか熱処理なのか、製造は組み立てなのか加工なのか、その専門性は異なる。それぞれが高い専門性に特化したことによって対応領域が細分化しており、結果的に顧客は発注に難しさを感じてしまう。特に新規顧客の場合は顕著でビジネス機会の損失になっている。町工場全体が新しい顧客を開拓できない最大の要因だ。それは顧客からしても余計な時間やお金をかけてしまうことにつながり、両者にとって損でしかない。
インタビューに答えるVanwavesの木下雄斗取締役(左)と安久工機の田中常務(右)
一方で、研究開発を得意とする安久工機には新規顧客からの引き合いが続いており、特にものづくり系のベンチャーからの引き合いが多いことに田中さんは価値を感じたという。ベンチャー企業は発想はあっても技術が無く自分達で考えたまだ世に出ていないモノが製品化・量産化できるのかの判断が付かない。そこに新しい活路を見出した。
「需要はある、ということ。そして僕ら町工場は高い技術力がある。もったいないんですよ。両者をマッチングさせれば、大田区の町工場、大田区全体のリブランディングに繋がるんじゃないかと思うんです」
オープンマインドで技術力を開示
「もともと、小さい頃から面白い遊びを考えたりとか、旅する暮らしみたいなことをキーワードに起業を考えていて、ホームサウナなどを扱う会社を設立しました」。そう語るのは株式会社Vanwavesの木下雄斗取締役。2020年に設立した家庭用テントサウナ「IESAUNA」シリーズを製造販売する会社だ。2024年7月初旬には、日本発の国産電気サウナ「IRORI」をリリースする。この開発試作に安久工機が携わっている。
新製品のリリースを祝う(左から順に)安久工機の田中宙常務、平田泰基さん、Vanwavesの木下雄斗取締役
しかし両者が邂逅する前、Vanwavesは製造委託先が見つからず困っていた。量産化を計画していたが委託先は中国の会社しか見つからなかったのだ。どれだけコストを削減しつつ、品質保証上の安全性も担保できるのか。国内企業で委託できるところは無いか。苦悩していたVanwaveは偶然にも安久工機を見つけ、連絡を取ってみたという。
安久工機はすでにベンチャーフレンドリーを提唱していて受け入れやすい状況であり、機構設計の強みを活かしてIRORIを社会実装できるレベルまで落とし込んだ。田中さんはオープンマインドで自社で実現できること、そしてVanwavesが実現したいことを徹底してヒアリングした。ベンチャー企業は技術的な知識がないため同じ言葉を話していてもミスコミュニケーションが発生する可能性があるからだ。「安久さんの原価まで知ってますからね」と話す木下さん。リスクを軽減するために、色んなことに対してオープンマインドで接する必要がある。
強固なネットワークで広報宣伝の懸け橋も
田中さんの提唱するベンチャーフレンドリープロジェクトは、大田区の他の町工場にも波及している。安久工機とVanwaveがタッグを組んだのとほぼ同時期に、ベンチャー企業を受け入れたのが極東精機株式会社だ。代表取締役社長の鈴木亮介さんは田中さんと同じく3代目。「ただの部品加工屋で終わっては町工場の未来は無い」という考えで、ベンチャーフレンドリープロジェクトに共感し、田中さんとともに旗振り役を担っている。
ベンチャーフレンドリープロジェクトの旗振り役の一人、極東精機の代表取締役 鈴木亮介さん
安久工機とタッグを組んだベンチャー企業は、クラウド型の生産管理システムを販売する株式会社DrumRoleだ。始まりは極東精機に送った「修行させてほしい」というメール。生産管理システムの中でも「町工場向け」を想定していたが、最適な仕様にするには現場の声が圧倒的に不足していた。実現可能性に懐疑的になっていたさなか、目に入ったのはベンチャーフレンドリーの文字だ。
「もうどこにも当てがない状況の中で連絡をしました。亮介さんはすぐに快諾してくれて、しかも一時的に社員として雇用して頂きながら現場の声を収集する機会を与えてくれました」。DrumRoleの代表取締役CEOの松本隆太郎さんは当時を思い出して顔をほころばせる。
最終の動作確認を行なうDrumRole CEOの松本隆太郎さん(右手前)とCOOの牛尾夢海さん(右奥)
極東精機にとっても、DrumeRoleを従業員として雇用するメリットはあった。プログラミングやWebデザインのスキルを持つ人財を活かして、自社のWebページのリニューアルやSEO対策を行った。事務所には常駐という形で席が設けられ、約半年に渡り共に過ごした。
この小さな出会いは大きな副産物を生む。地元とのパイプが強固な極東精機の推薦もあり、区内中小企業の振興に取り組む大田区産業振興センターから、サービスローンチの広報宣伝をしてもらうことが決まった。DrumRoleにとっては潜在顧客900社に一気にリーチできる機会だ。そしてサービスの信頼性を保証するのは、初めて導入先であり町工場として長い歴史とともにネットワークを構築してきた極東精機である。2024年4月、DrumRoleの生産管理システム「DrumRole」はローンチされた。
町工場向け生産管理システム「DrumRole」
マッチングは技術と実績の可視化で引き寄せる
このベンチャーフレンドリープロジェクトを加速度的に推進する取り組みは既に始まっている。「ベンチャーフレンドリー塾」という会員制の勉強会の開催だ。大田区内外のものづくり企業とベンチャーの関係者、さらにはベンチャー投資やものづくり系のベンチャー投資に積極的なVC(ベンチャーキャピタル)も参画し、その数はおよそ60社にもおよぶ。
羽田PioParkでベンチャーフレンドリー塾を開催
ものづくり系ベンチャーに対するVCの期待値は上昇している。2021年のベンチャーの資金調達ランキングでは製造業はトップ10のうち1社だけに留まっていたが、2023年には4社が製造業という結果になった。ものづくりベンチャー企業における試作品開発や量産化、そしてそれを実現するための資金調達といった越えなければならない壁は、ベンチャーフレンドリープロジェクトを上手く活用することがポイントになるかもしれない。
安久工機の田中さんはオンラインでのマッチング機会の創出も図ろうとしている。見込み顧客であるベンチャー企業がページにアクセスすると、大田区の町工場が有する特化技術や実績が分かるようなサイトだという。特定の商流や販路といった閉鎖的なネットワークだった情報を開示することで、ベンチャー企業からの引き合いを促すことが狙いだ。
ベンチャーフレンドリープロジェクトの今後の構想。
「これを事業化することが目標です。ベンチャーフレンドリープロジェクトをより広く推進していくには、しっかりとマネタイズする必要があります。その設計図を今、亮介さんと一緒に描いているところですね」
両者が相互補完的な形でタッグを組むことで新しい市場に挑戦していく。そんな座組が製造業における新方式になる日も、近いかもしれない。
【参考文献】
製造業の事業所推移 <リンク>
2023年スタートアップ資金調達ランキング <リンク>