【今回の取材地】
面積:84.59㎢
総人口:6万8288人
人口密度:807.4人/㎢
隣接自治体:福井市など
(2024年4月時点)
福井県鯖江市といえば、真っ先に眼鏡を思い浮かべる人が多いだろう。実際、国産メガネフレームの約96%、世界でも約20%が鯖江産という、圧倒的なシェアと技術を誇る鯖江市は、「めがねのまち」としては広く認知されている。
そんな鯖江市がいま、DXの取り組みによってものづくりの在り方を大きく進化させようとしている。鯖江商工会議所の田中英臣氏に話を聞いた。
眼鏡のオブジェが主張する、JR鯖江駅前の風景
人間中心設計の発想で地域の産物を世に広める
「鯖江市は本来、眼鏡、漆器、繊維の3つの産業が栄える、北陸を代表するものづくりの街です。しかし、世間一般に広く知られているのは眼鏡ばかり。そこで我々は数年前から、眼鏡をいっそう発展させていく半面、決してそれだけの街ではないことをアピールすべく、イノベーション創出による地域ブランディングに取り組んできました」
そう語る田中英臣氏が所属する鯖江商工会議所は、市内唯一の地域総合経済団体として、およそ1700社の会員企業で構成される組織である。
鯖江は眼鏡だけの街ではない。しかし、これほどの認知度の高さは、間違いなくブランディングの有力な切り口になる。そこで田中氏はリブランディングの初手としてまず、鯖江産眼鏡製品のイメージをさらに大きく向上させようと、2011年から意匠の開発を強化したと語る。
「デザインとは世界的には“見た目”のことではなく、“設計”を意味します。それも近年求められているのは、人間中心設計です。そこで2016年頃から、米カリフォルニアに本拠を置くデザインコンサルティング会社IDEOや東京藝術大学、慶應義塾大学などと連携しながら、デザイン思考を取り入れた商品開発に着手しました。その成果の一端をお披露目したのが、2018年に東京・青山で開催した『TOKYO MEGANE FESTIVAL』です」
ものづくり産地のDXに向けて音頭を取る鯖江商工会議所の田中英臣氏
近年たびたび話題になる人間中心設計とは、製品やシステム、アプリなどを開発する際、ユーザーにとっての使いやすさを最重要視する思考のことである。眼鏡というアイウェアにおいては、殊更大切な視点だろう。
『TOKYO MEGANE FESTIVAL』は、人間中心設計の考え方に則りつつ、新たな視点を取り入れたデザインを提案し、国産眼鏡の魅力を多角的に体感できる場として催されたものだ。田中氏によれば、3日間で約1万4500人の来場があり、総売上は900万円超という上々の反響を得たという。
「これなら眼鏡だけでなく漆器や繊維についても、同様に多くの人々に認知してもらえるはずだと手応えを得ました。こちらも人間中心設計の考え方を取り入れながら、より良い製品、より良いサービスにつなげていけるはずで、そのためにつくり手の活動を支援するにはどうすればいいかを議論した結果、2020年1月に誕生したのが『SABAE CREATIVE COMMUNITY』でした」
コロナ禍で最優先課題となった、ものづくり産地のDX
『SABAE CREATIVE COMMUNITY』とは、2020年1月に鯖江商工会議所の建物をリニューアルして誕生した、クリエイターのための創造拠点だ。それまで1階にあった事務所を2階に移し、空いた430平米のスペースを商品の展示や製作、あるいは商談に使える空間に改装した。
その一角に設けられたカフェスペースでは、市民等が試験的に商売を行う場所として、複数の店舗が曜日替わりで営業している。そのため自然と多くの市民が集う場になり、「ここへ来れば宣伝だけでなくマーケティングまで完結するのが大きなポイントです」と田中氏は胸を張る。
「ただ、『SABAE CREATIVE COMMUNITY』がオープンした2020年1月というのは、コロナ禍による緊急事態宣言の目前で、社会が一気に閉塞していく矢先でした。福井はもちろん、東京すらもゴーストタウン化している状況で、どれだけ優れたデザインを並べたところで、お客さんと出会えない時期が続きました。そこで新たに最優先課題となったのが、ものづくり産地としてのDX化です」
コロナ禍で産地に閉じ込められた企業や製品の魅力を、いかに外の世界へ発信すればいいのか――? 議論の末、鯖江商工会議所では『SABAE CREATIVE COMMUNITY』の地下フロアにYouTubeスタジオを開設し、これを地域のつくり手たちに開放した。資本力のない小さな事業者でも、鯖江から世界に向けて商品を発信できる環境を整えたのだ。
「低予算でもアイデア次第でDXできるんです」と田中氏が語る、地下のYouTubeスタジオ
こうした取り組みの成果として、2020年から2021年にかけて越境ECの利用が伸び、鯖江の各産地にも海外から問い合わせが寄せられるようになったという。小規模事業者でもフリマアプリなどで自社の製品を世界に販売できるようになり、鯖江の地名は世界で着々と認知を広げていった。
しかし一方では、広く海外に情報を届ける手段は得られたものの、うまく越境ECに対応できず、取り残されている事業者も少なからず存在した。
「すぐにリサーチしたところ、その主な理由は『英語ができない』、『貿易実務がわからない』、『代金が回収できるか不安』といったものでした。そこで今度は、東京、大阪、福岡の企業と連携し、『CROSS BORDER SABAE』をリリースしました」
域外の3つの企業とのオープンイノベーションにより誕生したこの越境ECサービスは、輸出作業や手続き、代金回収を代行することで、地域の事業者が国内への販売と同じ手間で海外に販路を確立することができるもの。まさに機を見るに敏な取り組みと言えるだろう。
さらに特筆すべきは、こうして海外への販路が広まり始めた成果を受け、より大量ロットの受注に繋げるためのオンライン展示会、『Virtual mall J』の実現にまでこぎつけたことである。
世界中どこからでもものづくり産地を巡ることができる『Virtual mall J』
世界のSABAEとしての信頼を守るために
『Virtual mall J』は世界のどこからでも鯖江市内のものづくり産地を旅できる、オンライン上の仮想空間だ。産地の風景を見て、作業の工程を学び、製品や企業の情報を知ることができるだけでなく、ほしい商品をその場で購入できるのが特徴である。
それに加えて、リアルの展示会とハイブリッドにリンクさせる取り組みも話題を呼んでいる。
「この『Virtual mall J』は、生産者とのインタラクティブなコミュニケーションを通して、ものづくりへの理解を深められるのがポイントです。しかし当然、『現物を見てみなければわからない』という消費者もいるでしょう。そこで実会場とバーチャルを結び、実際に商品に触れられる場所との連携を実現しました」
具体的には2021年にフランスのパリで、そして2022年には東京の南青山と銀座で、リアルの展示会との連携を実施。流通が停滞するコロナ禍において、極めてチャレンジングな動きが見られた。
この取り組みは次世代型の商業空間として大いに注目を集め、田中氏は「行く行くは鯖江だけでなく全国に515ある商工会議所すべてに広めていけば、日本中のものづくりを世界に発信することが可能になります」と、さらなる展望を語る。
“ものづくり産地のDX”を通して日本企業の商圏拡大に取り組む田中氏
「大切なのは体験です。我々は“物を買う”という行為について、購入前・購入・購入後と3つの視点に分け、それぞれに適したデジタルコンテンツを用意することで、これまでにない購買体験をバーチャルに演出するよう努めてきました。すべては販路の開拓のためです」
まず「購入前」には、VRゴーグルなどを通したXR体験で、商品との出会いを演出。次に、購買意欲が高まった瞬間にすぐ「購入」を後押しできるよう、越境ECのシステムを整備。そして何より重要なのが、「購入後」のフォローだ。
「実は、世界で『SABAE産』と名乗っている眼鏡のうち、一定数が偽物であると言われています。せっかく買った物が偽物であれば、鯖江というブランドは信頼を失ってしまいますし、それを回復することは容易ではありません。そこで我々はブロックチェーンの技術を用いて対策しています」
具体的には、世界で初めてPR動画付きの真贋判定システムを導入。これまで容量の制約により動画を組み込むことは困難とされていたブロックチェーンだが、技術面でこれをクリアし、ICタグに本物であることを証明する仕組みを取り入れた。
『SABAE CREATIVE COMMUNITY』として生まれ変わった鯖江商工会議所
国際化・DX・知財戦略をワンパッケージで実現
「いま、ものづくりに関わる中小企業には、国際化・DX・知財戦略の3つがマストであると言われています。しかし、多くの企業がそのために何をすればいいのかわからず、戸惑っている状況なのは言わずもがなです。その点、我々の取り組みはワンパッケージですべてを実現するもので、これによって企業の力を引き出すことができれば、地域全体の向上に繋がり、街が元気を取り戻すはず。ひいては若い世代が地元に残り、後継者不足の問題も解消されるでしょう」
この鯖江市のモデルに共鳴する自治体は多く、各地の商工会議所から問い合わせが続いている。
田中氏は言う。「地方のものづくりは、世界ではいまラグジュアリー(贅沢)なものとして認知されている」のだと。だからこそ、地域固有の文化や技術として、我々は大切にこれを守っていかなければならない。
「地方のものづくりを維持することは、地域の産業を持続させることに直結します。これはSDGsの観点からも重視されるテーマで、今後はAIの活用なども取り入れながら、さらに有意義な手立てを考えていく必要があるでしょう」