【今回の取材地】
総人口:39,207人
人口密度:250人/㎢
隣接自治体:石岡市、土浦市など
(2023年12月1日時点)
“麦わら村長”と霞ヶ浦の天然うなぎ
ここまで記してきたような、霞ヶ浦の水産業に対する未来への危機感は、市民全体の共通項とまでは言えない。第2章で紹介した中村さんや戸田さんは、どちらかと言えば異色の存在である。取材を進めていくと、関係者の多くは何かアクションを起こそうというより、自然の成り行きに任せている人が多いように感じた。諦めの雰囲気がまん延している、そう思えた。
少なくとも、漁獲量減少に大きな影響を与えている霞ヶ浦の水温上昇に関しては、人の手でどうにかできる問題ではないし、後継者不足も過疎化が進む地域にあっては、即効性の高い解決策は見出すのは難しい。努力でどうにかできるフェーズは、とうに通り過ぎたように思えなくもない。
ただ、現状を打破しようとする動きは、戸田さんや中村さんだけではなく、少なからずかすみがうら市の中に存在する。しかし、未来に向けた分かりやすい王道が今のかすみがうら市にあるわけではなく、目の前に広がるのは間違いなくいばらの道なのだ。
そんな中、旧霞ヶ浦町地区、ひいてはかすみがうら市に大きなムーブメントを生み出しそうな人物が、ここ最近急浮上した。麦わら帽子と黒いサングラスがトレードマークの“麦わら村長”。
麦わら村長は旧霞ヶ浦町地区の漁師一家の3代目。現在はYouTubeやInstagramで情報発信をしながら、霞ヶ浦の天然うなぎの魅力発信を行っている。その一目見たら忘れられない風貌と、抜群の話術でファンが急増中だ。
事の始まりは2021年夏。もともと麦わら村長として、特にうなぎや漁業ということにこだわることなくYouTubeに動画投稿を行っていた。当時は会社勤めをしていたため、休日を使って活動。そんな中で、ある一つの動画に大きな反応があることに、麦わら村長は気が付いた。
「YouTubeで活動を始めて、いくつか動画をアップしたんだけど、その中で再生数が伸びたのがうなぎの動画。2021年6月に馬鹿でかいうなぎが獲れてさ、1.4kgくらいのが。たまたま動画も撮影していたし、大きいうなぎは大味だって聞いていたから、試しに食べてみた。そしたら、めちゃくちゃ美味くて! こんなうなぎが霞ヶ浦にいるなら、みんなに食べに来てほしいなと思ったのよ。霞ヶ浦に人を呼んでみてえなって」
祖父や父がうなぎ漁をやっていた影響で、麦わら村長は幼少期からうなぎに携わってはいたが、仕事にするまでには至らなかった。ただ、YouTubeでの活動を通じて、思いがけず霞ヶ浦のうなぎの魅力を発見したことで、麦わら村長の人生は急展開。
ここから始まる行動の根底にあるのは、こんな素晴らしいものを埋もれさせたくない、知ってもらって、楽しんでもらいたいという思いをもっている。
せっかくだったら、食べに来る人には自分でうなぎを獲ってもらって、それを自分で焼いて食べてもらいたい。そうしたら、ずっと忘れられない思い出になるはずだと麦わら村長は考えて、うなぎ漁体験を独自に始めた。
「自分が体験しないと分からないことはたくさんある。だから俺は皆んなにやってもらう。自分で体験したことって、ずっと頭に残るでしょ。アクシデントも楽しい思い出になるじゃない。例えば、『田んぼに落っこちて、泥だらけになってしまった』とかね。そういうのはいつまでも覚えてる。ただ美味しいウナギを食べるだけでは、何も伝わらない。正直、当日うなぎが獲れるかどうか分からない。でも、そういうドキドキやワクワクも楽しんでほしいんだよ。俺、人と一緒が嫌なんですよ。美味しいウナギを食べてもらうだけなら、他の人でもできるんだよ」
クラウドファンディングでうなぎ村設立資金を調達
SNSで募集をかけて、うなぎ漁体験を始めてみると、麦わら村長の思惑通りに多くの人が楽しんでくれて、リピーターも続出。予想以上の客足が生まれた。ただ、当時の麦わら村長は会社員ということもあり、時間の全てをそこへ費やすことはできなかった。それに、うなぎ漁体験をしてもらうための活動拠点として、実家の空きスペースや小屋を利用していたが、十分に整備がされてはいなかった。
そこでうなぎ漁体験の拠点を整備するために、クラウドファンディングによる資金調達を2022年7月からスタート。併せて、勤めていた会社を退職して、うなぎの専業となることを麦わら村長は決意した。
クラウドファンディングに関しては、かすみがうら市が行っている「クラウドファンディング活用支援事業補助金」事業の第1号に採択され、行政の支援を受ける形で開始。目標金額を250万円に設定し支援を募ると、もとより多くのファンを抱えていたこともあり、締め切り2日前に目標金額を達成。そこからさらに金額を積み上げ、最終的には約329万円もの支援を受けることに成功した。
調達した資金をもとに活動拠点を整備し、2023年に「うなぎ村」を設立することがクラウドファンディングにおける公約の一つ。うなぎの伝統と魅力を伝える場所にするのと同時に、かすみがうら市の新たなコミュニティスペースとして発展させていくのが、麦わら村長に課せられた目下のタスクであった。
ただ、一方でまとまった資金が得られたからといって、一気に規模を拡大するつもりは麦わら村長にはなかった。
「いきなり人がたくさん集まっても対応はできないんでね。しばらくはうなぎ村をつくり上げることに集中しなくちゃいけないし、まずは小さく活動して、ちょっとずつ大きくなれればいいかな。借金でお金を集めて、きれいな設備や場所をつくることは、やろうと思えば簡単にできる。一気に大きくすることもできるかもしれない。でも、俺はやらない。麦わら村長のことを知ってもらい、興味を持ってもらって、まずはそういった自分のファンに来てもらいたい。今もファンを増やしていくような感覚でやっているので。うなぎ村はお金で広げるのではなくて、みんなの思いで広がる場所にしたい。『うなぎあります、いらっしゃいませ』って書いたら人は来るんですよ。でも、その人たちは俺を知っている人でもないだろうし。現状、ただ美味しいうなぎを食べるだけのお客様というのは求めていないんです」
麦わら村長が大事にしているのは、うなぎの魅力を伝えていくことはもちろんだが、「うなぎ村」というコミュニティを多くの人の思いが詰まった場所にしたいということだ。
「今進めているうなぎ村の開拓や運営は、ボランティアの人たちに協力してもらっているんです。麦わら村長のやりたいことに協力したいという人がいっぱい出てきた。うちはみんなで共同してコミュニティをつくり上げている。そういう人の輪を大事にしたいんです。そうやって自分の活動を支援してくれるコアなファンや仲間を増やしたい。ただのうなぎ屋さんだったら、困ったときに助けてくれないけど、コアなファンがいれば大変なときに一緒に乗り越えてくれる。持続可能な形にしたいんです」
かすみがうら市の魅力が詰まった場所へ
麦わら村長の構想は“うなぎ”だけに留まっていない。うなぎ漁体験の主な活動拠点となるうなぎ小屋の工事を進める傍ら、そこから少し離れた場所にある古民家を整備して、庭でキャンプを楽しめるような場所も、うなぎ村の中につくりあげようとしている。うなぎを獲り、食べて終わる場所にはしたくない。大人も子供も、何日いても楽しめる場所にするのが麦わら村長の願いである。
「夏になったらさ、お客様や自分のファンや仲間を集めて、近くで釣りをして、山にある竹を使って流しそうめんを楽しんでさ。その後、みんなで水鉄砲で遊んだりね。クワガタを獲ったりしてもいい。自分が子供のころにやって楽しかったことをやる。気が付いたら、みんなが水浸しになってね(笑)」
かすみがうら市には、地域外に知られていないだけでたくさんの名産品がある。そういったものも楽しんで欲しいと麦わら村長は言う。
「かすみがうら市にはワカサギ、シラウオ、テナガエビがいる。養殖鯉もいる。果物だってたくさんある。霞浦牛や蓮根豚といった畜産物もある。そういったものを食べてもらうために、うなぎ村には直売所も置きたい。ここに来ればかすみがうら市の名産品を味わってもらえるようにしたいよね」
かすみがうら市の魅力を全て集めた場所にできれば、今までかすみがうら市に興味が無かった人でも、2度、3度、そして何度も訪れたいと思ってくれる。そうして、元気の無くなった旧霞ヶ浦町地区が再び盛り上がることを麦わら村長は願っている。
このように麦わら村長のアイデアは尽きないが、麦わら村長とうなぎ村の根っこにあるのは、霞ヶ浦の天然うなぎを後世に伝えていくということ。これらの動きを始めたきっかけでもある思いは絶対に揺らぐことはない。
「麦わら村長のところに来れば、『うなぎのことは何でも分かるよ、教えてくれるよ』という場所にしたい。“本当のうなぎ”というものを知ってもらいたいんだ。人と関わっていくことも好きですし、喋るのも得意だから。ずっと昔から住んでいる人が伝えていかなければ、大切なモノっていうのはうまく伝わらないんじゃないかな」
現在、霞ヶ浦のうなぎ漁獲量はほんの僅かなものである。1963年に利根川からの逆流による塩害防止を目的に設置された常陸川水門、通称“逆水門”ができてから、霞ヶ浦ではうなぎの姿は一気に減った。うなぎの子どもであるシラスウナギは、海から利根川をさかのぼり霞ヶ浦へと行き着いていたのだが、逆水門ができたことによってシラスウナギが霞ヶ浦に入ることが難しくなってしまったのである。
それでも、わずかながらも霞ヶ浦にたどり着いたシラスウナギが成長し、淡水環境下で栄養価の高い餌(テナガエビなどの甲殻類)を食べ、同じ場所で生息を続けるのが霞ヶ浦の天然うなぎ。そういった背景から、他所の天然うなぎとは異なり、身や骨が柔らかく、皮が薄くて上品な脂を持ったうなぎに育つのだと麦わら村長は言う。
うなぎが霞ヶ浦から消えかけた存在で、安定的に漁で獲れるものではなくなってしまったことを知っている人は多い。ただ、その数少なく残されたものが実は唯一無二の水産資源であることは、かすみがうら市内でも意外に知られていないし、活用しよう、アピールしようという人はこれまで現れなかった。この麦わら村長による一連のアクションは、過疎化や水産業の低迷に悩むかすみがうら市にとって、新たなロールモデルの一つとなるかもしれない。
【参考文献】
- 茨城県生活環境部霞ヶ浦対策課,(2001年),霞ヶ浦学入門