まちを拓く人
更新日:2024年08月07日

集落のランドスケープデザイン 都市と地域の接点へ

ライター:

茨城県北部に位置する北茨城市では「芸術家の集落支援員」による活動で市内外から人を呼び込んでいる。瀬戸内国際芸術祭などを代表とする大規模な芸術イベントは実施までに多くの人手と費用を要する。北茨城市における取り組みは芸術とランドスケープを組み合わせた小規模な限界集落でも実施できる活動だ。その実現までの過程を追う。

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13世帯24人の限界集落「楊枝方(ようじかた)」

暮らしそのものを芸術として捉える

「集落全体が民俗資料館みたいになればいいですよね」

芸術家の石渡(いしわた)のりおさんは言う。「檻之汰鷲(おりのたわし)」として妻・ちふみさんと共に北茨城市で芸術活動を行っている。2017年に北茨城市の地域おこし協力隊に採用されて以降、自ら改修した古民家をアトリエ兼創作スペースとして提供したり、市内外から芸術家を集めた「桃源郷芸術祭」を開催。そして限界集落の耕作放棄地を花畑にするなど精力的な活動を続けている。活動のなかで一貫しているのは「暮らしそのものが作品である」という、集落全体をアートとして捉えた考え方だ。そのため石渡さんは自身を「生活芸術家」と名乗る。

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アートユニット「檻之汰鷲(おりのたわし)」(左から順に)石渡ちふみさん、石渡のりおさん

北茨城市は、日本美術院を創設した岡倉天心や三大童謡詩人の一人である野口雨情など、芸術家と縁のある地域である。そうした背景から「芸術によるまちづくり」を推進し、2017年に公募された地域おこし協力隊には、芸術のスキルが求められた。そこで採用されたのが石渡さんだった。通常、芸術のまちをコンセプトにする地域おこしとして考えられるのは大規模な「芸術祭」。しかし石渡さんの活動はあくまで芸術とランドスケープの組み合わせだ。

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北茨城市の景色を描写した作品

最初に行った活動は、移住先の関本町富士ケ丘楊枝方(ようじかた)限界集落に残る空き家の改修。築150年の空き家をアトリエ兼創作スペースとして改修し、創作活動を行う芸術家が住み込みで使用できるようにした。誰もが『ありがてぇ』と感じてもらえるように『ARIGATEE』と名付けた。

「普通に暮らしているだけだと、地元の人との交流ってあまり無いと思うんですよね。でも家って大きな野外オブジェみたいなものじゃないですか?だからその改修をする、芸術活動をするっていうのは、関係を構築する入口としては良いですよね」

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石渡さんが改修した築150年の古民家「ARIGATEE(旧有賀邸)」

「家」を拠点にした芸術祭

暮らしそのものが作品である理念は芸術祭でも体現された。

2018年から2020年まで「桃源郷芸術祭」を開催。まち全体を通して北茨城市や市外で創作活動を行う芸術家の作品に触れるイベントだ。全7箇所の拠点のうち、楊枝方集落のARIGATEEも拠点として機能した。展示したのは、ARIGATEEの改修時に見つかった古くから使われた農具などを磨き上げたもの。期間限定の楊枝方民俗資料館が誕生した。過去の生活の営みが凝縮された部屋の外では、若者から高齢者まで多様なバックグラウンドを持った人達が、地元住民お手製の豚汁を共に食べる。2019年に開催した桃源郷芸術祭では5000人以上の集客を実現した。

「ARIGATEE」を拠点に多様な人々が集う

集落支援員の活用

地域おこし協力隊の任期満了を終えた石渡さんは、2020年に市から委嘱を受け集落支援員として活動を開始。集落支援員とは、地域の実情に詳しい人材で、集落対策の推進に関してノウハウ・知見を有した人材。集落の状況把握、点検の実施のほか、住民同士、住民と市町村との話し合いの促進などを実施する役割を担う。地域おこし協力隊と異なり、任期が定められていないのが特徴だ。

「石渡さんはまず、集落住民との関係をしっかり構築してくれていて、集落の実情にも詳しい。その上で芸術やランドスケープの視点を持っていたので、集落支援員を紹介しました」

地域おこし協力隊時代から連携してきた北茨城市職員の石﨑祐平さんはそう語る。地域おこし協力隊の任期満了後の定住率はおよそ65パーセントといわれ、その後も地域活動に直接的に関わる人は限られる。石渡さんはそのまま集落支援員として定住したロールモデルと言える。

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集落の景観について話す石渡さん(左)と北茨城市職員の石﨑祐平さん(右)

「北茨城市の職員って、イベントがあると部門部署とか関係無く、全員で協力してくれるんですよね。一緒に汗だくになって。小規模だからこその目も届きやすさとか、関係深化みたいなものはあるかもしれない」と石渡さんは語る。

シビックプライドを加速させる

楊枝方集落の住民の平均年齢は65歳で、限界集落(地域人口の50パーセント以上が65歳以上の集落)に該当する。13世帯24人が暮らすこの集落では、高年齢化に伴い放棄された耕作放棄地や荒れ果てた森林環境など整備を要する一方で、そのままでも生活自体は成立するため改善はなかなか進まない。そんななか楊枝方集落の住民が声を挙げた。

「自分がいなくなっても、暮らしてきたこの場所が綺麗な場所であり続けてほしいって、地域の人が桜の植樹を提案してくれたんですよ。すごいなって」と、石渡さん。

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桜の植樹を提案した豊田澄子さん(左)

桜の植樹をサポートし、地域住民と共に荒れ果てた耕作放棄地や生活動線周辺の整備を行なったほか、菜の花やコスモスが咲く空間を再構築した。都市型のランドスケープデザインでは、大規模な公園緑化、自然や河川を再生する環境修復などが行われるが、ここ楊枝方では小規模な形としての「里山ランドスケープ」が生まれてきている。

行政の移住交流促進事業でも里山ランドスケープを積極活用した。東京など首都近郊からの参加者を中心に、市内を巡るツアーのひとつに菜の花の種を植える体験を実施。関係人口の構築にも効果を見出しており、それは地元の人のシビックプライドを高めることにも直結する。

「桜の植樹、菜の花畑を作る、それって地域の人の地元に対するプライドだと思うんです。その上に集落全体をキャンパスと考えて、自分自身が絵筆として集落の景観を作っていくことが成り立っていると思います」

耕作放棄地を菜の花畑へ

ランドスケープを芸術作品としてアウトプット

だからこそ石渡さんはランドスケープデザインで生まれた自然景観を「作品」という形でアウトプットする。自ら自然景観を開拓し、その道中で見聞きした暮らしから得たものを題材にして「作品」に落とし込む。景観づくりという空間設計までが、通常のランドスケープデザインのなかで、石渡さんのやり方は芸術家ならではのアプローチといえる。

「トラクターで田んぼを耕してたら泥にはまってしまって、タイヤが空回りして粘土が挟まっていたんです。これは焼き物に使えるなと思って」

その作品は東京有楽町で開催した「檻之汰鷲」の個展にも展示された。外側への意識も忘れていない。

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東京有楽町で開催したアートユニット「檻之汰鷲」による個展

ランドスケープデザインと芸術家の可能性

石渡さん・地元住民・行政が共に蒔いた種は、芽生えつつある。

石渡さんが草刈りを続けた休耕田は、田んぼとして再生し、来年地元の人が稲作を行う予定だ。実際に、石渡さんの活動に興味を持った北海道在住の地主が同じようにランドスケープの観点から集落を整備して景観を作っている。石渡さんも現地に行って、何ができるか相談を受けたそうだ。

「最初は自分がやっていることは汎用性なんてないし、普及しなくてもいいかなって思ってたんですよね。でも今は、そういう人が増えればいいかなと思っていますし、できることは伝えていきたいなと思います」と石渡さん。

全国の限界集落が民俗資料館になり、その作品たちが東京に一斉に展示され購入される。都市と地方を結ぶ接点に「生活芸術」が存在し、自然と経済活動が混じり合う。そんな未来を想像させる自走化への一歩をいま、踏み出している。

【参考文献】

・総務省 “令和4年度における地域おこし協力隊の活動状況等”(2023年4月4日参照)

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