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概要
全国の市町村のうち5割弱を占める過疎地域。そのうち65歳以上の割合は約40パーセントと、過疎地域では高齢化が進んでいる。これらの地域では空き家の増加や交通手段の確保が課題となっていて、生活インフラの整備が重要視されている。こういった状況の中、地域にある既存の資源を再編集し、町や村など地域全体をひとつのコンテンツに見立て盛り上げる「新たな観光ツーリズム」が全国で広がりつつある。
観光路線化で維持を図る
東京都心から電車で1時間半ほどに位置する奥多摩町。山や川と自然が豊かな町は国立公園に指定されている。観光地としても人気を集めるスポットだが、いま注目に拍車をかけているのが「沿線まるごとホテル」。
JR東日本と地方創生コンサルティング企業のさとゆめが共同で行う、地域全体をひとつのホテルに見立てた斬新なプロジェクトだ。そもそもの起源は、JR東日本が東京の立川駅から奥多摩駅を結ぶJR青梅線の路線維持のため観光路線化を打ち出したことである。無人駅が11箇所点在する青梅駅から奥多摩駅間を「東京アドベンチャーライン」と名付けた。土地柄を活かしてアウトドアやアクティビティが楽しめる路線としてPRしたが、結果が伸びず思い悩んでいた。そんなときに目にしたのが、山梨県小菅村の「村まるごとホテル」。人口700人の村をひとつの宿と見立てた、分散型ホテルの取り組みである。青梅線の利用者増加のヒントになるのではと視察に訪れ「奥多摩町でも事業をやりませんか?」と提案したことからすべてが始まった。
伴走型支援で「ふるさとのゆめをかたちに」
村まるごとホテルを展開するのは、地方創生に取り組む「さとゆめ」。地域振興に向けた経営戦略の立案から運営までを一貫して伴走支援する、いわゆる「0から1を生み出すプロ」の集団だ。代表を務めるのは、嶋田俊平さん。以前は官公庁を専門とした経営戦略のコンサルティング会社に勤めていたが、企画が形にならないもどかしさを感じ、さとゆめを立ち上げた。「コンサルティング会社は、経営戦略の立案や調査に特化していて、事業の立ち上げや運営に関わることは一切ない。自分はそこに留まらず地域で事業を創出したい。思いを形にすることでふるさとを応援したい」と話す嶋田代表。これまで全国50以上の地域で、癒しをテーマにしたツーリズムの展開や道の駅の立ち上げなど、さまざまな“ふるさとのゆめをかたちに”することに尽力してきた。今では毎月さまざまな自治体や大企業などから依頼が殺到するほど大反響だそうだ。
成功のカギは「熱源を持つ人」
「奥多摩で成功する確信をすぐには持てなかった」JR東日本からの提案に、率直にそう感じた嶋田代表。そこで第一に多方面から地域を知ることに注力した。集落を歩いて地元の人と話したり、カヌーに乗ってラフティングをしたりと、民俗学的な手法で地域資源の発掘を行ったのだ。すると奥多摩の魅力は美しい自然はもちろん「地元を盛り上げたいという強い思いを持った人」だと感じ、“人”に焦点を当て始めた。嶋田代表は「自然や街並みだけでは差別化できない。そこに住んでいる人がどれだけ胸を張れているか、企画の熱源になれる人がいるかどうかですべてが決まる」と話してくれた。さらにJRとタッグを組むなら強みは“沿線”だと考え、地元の人と沿線を掛け合わせた「沿線まるごとホテル」という切り口でプロジェクトを立ち上げた。JR鳩ノ巣駅を拠点に駅舎をホテルのフロントとし、沿線上にある空き家を客室やレストランに、地域住民をキャストに見立てるなど、まさに地域の課題を逆手に捉えた発想で唯一無二の体験や価値の提供を行っているのだ。JR東日本・八王子支社の会田均さんは「沿線は自治体間の壁を越えられるツールなので、1つの自治体で収まらずエリア全体で見せていくのが“沿線まるごとホテルの醍醐味“だ」という。
互いの強みを融合し0から100を創る
こうしてJR東日本とさとゆめが共同出資して設立した会社が「沿線まるごと」。JR東日本は大企業であるがゆえに決裁や承認プロセスに時間を要するため、地域会社を新たに立ち上げることでスピード感を保ちながら進めることできた。さとゆめにとっても東日本を中心に約70沿線を持つ大企業と手を組むことは、事業展開の可能性が広がることから、合同会社の設立は双方にとって利点しかなかったのだ。
プロジェクト始動から最初の2年間は様々な実証実験を行った。電動モビリティを活用したツーリズムや地元の人による案内ツアーなど、コロナ禍でも五感で地域らしさを体験できるコンテンツを展開。すると実証期間中の青梅駅から奥多摩駅間の乗降数は目標の110パーセント超を達成し、実証の場となった奥多摩駅・白丸駅では前年比150パーセント以上となった。さらに無人駅にもつ世間のイメージの変化も会田さんは感じていて「無人駅は暗くて人がいない印象があり、ネガティブワードとして使用を避けていたが、これを機に“無人駅から始まる秘境の旅”のような形で使用され始めた。いまではパワーワードとなっていて、イメージの払拭に貢献できたのではないか」という。0から1の発掘を得意とするさとゆめと、多大なネットワークを駆使して10を100にできるJR東日本の強みが掛け合わさったことで、地域の課題を魅力に転換し、解決の糸口を見出したのだ。
好きや関心を仕事に 目指すは“すべての人のふるさと”
「180度異なる世界なので刺激的で、日々勉強です」そう話すのは、JR東日本から沿線まるごとに出向した牧秀明さん。7年ほど車掌を務めていたが、キャリアチェンジを検討していたところ社内公募を目にして自ら希望した。現在は事務手続きなどのバックオフィス業務を中心にディレクターとして奮闘している。「まさか30歳を機にクリエイティブな仕事に携われるとは思っておらず自分でも驚いているが、前例がなく0から1を自ら作ることができるので、やりがいがあって楽しい」と話す。
2024年5月にオープンしたレストラン・サウナ施設「Satologue(さとローグ)」の総支配人・秋山拓実さんは、奥多摩に魅了された移住者だ。コロナ禍での子どもの誕生を機に子育て支援制度が充実している奥多摩に移り、土地柄を活かした観光の仕事に携われたらと参画した。「奥多摩には田舎ならではの良さと人の温かさがあり、一度住むと離れられなくなる。今では自分らしくいられる場所で、移住しないと出会えなかった仕事に携われているので、何でも学びます精神で日々勉強しながら運営しています」とやりがいと誇りを感じている秋山さん。沿線まるごとホテルの利用者にとっても「ただいま」と言いたくなるような心地よい “ふるさと”になることを目指して、上質なホスピタリティの追求に努めている。
TOKYOから地方創生モデルを創出
数々のメディアから注目を浴びている「沿線まるごとホテル」だが、実はまだ本格開業はしていない。しかし2023年に開催された、第7回ジャパン・ツーリズム・アワードにて、国内外140の応募の中から最高賞となる「国土交通大臣賞」と「学生が選ぶジャパン・ツーリズム・アワード」をダブル受賞。地域が抱える課題を価値に転換した点や、公共交通期間の利用促進や産業振興を地域全体で取り組んだ点が高く評価された。いよいよ2025年の春に宿泊棟のオープンを控えていて、さらなる発展に期待が寄せられている。
嶋田代表が次に見据えるのは、2040年までに30路線での事業展開である。青梅線での事例を皮切りにツーリズムモデルを確立し「TOKYOから地方創生モデルの創出」を掲げているのだ。「すべての人がふるさとに誇りを持ち、ふるさとの力になれる社会を作る。それが地方創生のゴールではないか」と話す嶋田代表。
さとゆめの取り組みは、地方創生の真髄を示してくれているのではないだろうか。
【参考文献】
・総務省 “過疎対策の現況”(2024年8月22日参照)