【今回の取材地】
総人口:39,207人
人口密度:250人/㎢
隣接自治体:石岡市、土浦市など
(2023年12月1日時点)
「今後もなくならない仕事」という選択
近年、全国的に第一次産業の就業者は減少、業界の高齢化が進行している。そのような状況の中でも、若くして茨城県かすみがうら市で就農し、奮闘する農家の姿に私は興味をひかれた。
同市出身の佐賀史宗さんはそうした農家の一人で、「美味しいイチゴ」をつくるために日々試行錯誤している。地元を離れ、大学時代を北海道で過ごした佐賀さん。就職活動を始めたころ、世の中は新型コロナウイルス感染症が流行している真っ只中だった。
そのような状況下で佐賀さんは、「今後もなくならない仕事に就きたい」と考えるように。そして、農業が盛んであり、地元でもあるかすみがうら市で新規就農をすることを決意。大学の授業がオンラインで開講されていることを好機と捉え、卒業前に帰郷。そこから、隣町である土浦市のイチゴ農家のもとで研修を受け、農家としての第一歩を踏み出した。
現在佐賀さんは、農業を始めて2年目。農園に伺うと、美味しいイチゴづくりに日々励む姿がそこにはあった。
かすみがうら市だからこそ実現できる、農業のカタチ
茨城県はレンコンの生産量が全国第一位。しかも、その大半はかすみがうら市をはじめとする霞ヶ浦流域(土浦市、かすみがうら市、行方市、小美玉市、稲敷市、河内町、阿見町、石岡市、美浦村)で生産されている。
しかしながら佐賀さんが農業を営む地域は、湖畔から離れた内陸のため、多くの水を必要とするレンコン栽培には適していない。そのような地域の特性を加味して、佐賀さんは牛渡地区の環境に合ったイチゴを育て始めた。
取材に訪れた10月中旬ごろは、ちょうどイチゴの苗づくりが終わり、定植したころ。ハウスの中を見渡すと、苗が1反歩(約300坪)のハウスにびっしりと広がっていた。現在佐賀さんは一人で農園を管理しており、これだけの広さを他の人の手を借りずに手掛けるのは、大きな苦労があるように思えた。
実際、繁忙期には交流がある同業者の手を借りて作業を進めることもしばしば。「近隣の農家の方々と交流を持てることはもちろん、時には農作業を助け合える関係にあるから」と、佐賀さんは「第一次産業が盛んな地域である」というかすみがうら市の特徴を生かして農業を行っている。
「これは、周りに農家さんが多いからできることであって、かすみがうら市で農業をする大きなメリットの1つですよね」
農業を始めてまだ2年目ということもあり、ここまでの歩みは順風満帆だったわけではなく、苦労や困難はたくさんあった。
農業は「対自然」の仕事のため、虫も土も気温も、人の手でコントロールするには限界がある。そのため、1年目も、2年目となる今期も、高温多湿が原因で起こる「炭疽病」が発生してしまった。それでもなんとか、ここ2年間は必要な分だけ苗をそろえることができ、「苗づくり」という山場を佐賀さんは無事超えることができた。
「美味しいイチゴ」を求めて……
農作業が大変なのは言わずもがな。だからこそ、自分の育てたイチゴを「美味しい」と言ってくれて、お客さまがリピートしてくれるのが最大の喜びであり、佐賀さんはそこにやりがいを感じていると言う。
農家としてまだ2年目の佐賀さん。1年目の昨年は、苗を育てるところも、肥料のコントロールもうまくいかず、望んでいたようなイチゴの管理を行えなかったという悔しい思いをしたそう。
2年目となる今期の目標は「美味しいイチゴを育てること」。
シンプルだが、新しいことに挑戦するのではなく、目の前の問題を着実にクリアし、できないことを一つずつ潰していく。それが目指すべき「美味しいイチゴ」への近道になると佐賀さんは信じている。
「かすみがうらのイチゴなら、ちかむね農園だよね」
いつかそんな風に自分のイチゴを知ってもらいたいと語る佐賀さんの姿が、とてもまぶしく映った。
私はこれまで、農業に対して「大変そうだ」という陳腐な言葉しか選ぶことができなかった。なぜなら、その「大変さ」とはどんなものなのか具体的には知らなかったからだ。「自然」というコントロールできないモノを相手に、計画通りに事を進めるのはどんなに骨の折れることなのか。「美味しいイチゴ」を育てるために、どれだけの時間と苦労がかかるのか。
一筋縄ではいかない農業で、失敗を繰り返しながらも前に進む姿から、年を追うごとに佐賀さんの農家としての歩みは力強いものになると思えてならない。