matsusaka-brand3-1
文化のたすき
更新日:2024年05月23日

松阪市ブランド大作戦 #3|大規模短期肥育で失われる? 正統“特産松阪牛”の今

ライター:
mie-matsusaka

【今回の取材地】

面積:623.58㎡
総人口:154,734人
人口密度:248人/㎢
隣接自治体:津市、多気郡多気町など
(2023年8月1日時点)

世界に名だたる和牛ブランド“松阪牛”

国内外で認められ、松阪市の象徴として君臨し続けている“松阪牛”は、鶏焼き肉や松阪豚とは異なり、早くから全国的な知名度を築いている。かつてはブランド保護の観点から松阪牛の定義は複数の団体によって定められていたが、2002年に以下のように統一された。

  • 黒毛和種、未経産の雌牛
  • 松阪牛個体識別管理システムに登録されていること
  • 松阪牛生産区域(旧22市町村)での肥育期間が最長・最終であること
  • 生後12ヶ月齢までに松阪牛生産区域に導入され、導入後の移動は生産区域内に限る。

古くは1958年に発足した松阪肉牛協会が、「①雲出川から宮川の間で、②六カ月以上飼育された、③メスの処女和牛で、④上規格のものに限る」という規定を設けたことが知られており、かつ当時の松阪牛のほとんどが兵庫県産の子牛(但馬牛)が肥育されたものだった。当時の肉の規格は「特選」「極上」「上」「中」「並」の5つに分かれており、そのうち上位3ランクのみが松阪牛を名乗ることができた

現在知られているA-5、A-4などの日本食肉格付規格の格付けは1988年から始まり、松阪肉牛協会の「上規格のものに限る」は「A-5」「B-5」のことを指す。そのため、現在の定義に統一される以前は、松阪肉牛協会が認定した“松阪牛”は高級肉、ということが格付けをもとに担保されていた。

意外に思われるかもしれないが、先述した2002年に制定された定義に沿うと、現在では食肉格付規格に関係なく、なおかつ兵庫県産の子牛を肥育しなくても松阪牛を名乗ることができる。ただし、その中でも「松阪牛の中でも、兵庫県産の子牛を導入し、松阪牛生産区域で900日以上肥育した牛」は“特産松阪牛”を名乗ることができ、松阪牛の中でも特別な存在となっている。

一般的な黒毛和牛が肥育農家で約22カ月(660日程度)肥育して出荷されることを考えると、特産松阪牛はかなりの長期肥育となる。長期肥育となれば病気へのケアが重要となり、一頭一頭手塩に掛けて育てることが求められる。そのため特産松阪牛の肥育農家は、少数肥育を行っているところが多い。そういった背景から、特産松阪牛は非常に貴重なものとなっており、現在では出荷される松阪牛の中でも3〜4%程度しかいない。

食用肉としての特産松阪牛の特徴は、きめ細かい肉質と脂肪交雑(霜降り)のバランスが抜群で、長期肥育によって熟成された脂による和牛香は甘く深みがあり上品。その味を知る人の中には“松阪牛”と“特産松阪牛”は別物と言う人が多い。

松阪牛全体からしてみればマイノリティともいえる特産松阪牛だが、“特産”を通して松阪牛が置かれている状況を眺めてみると、長らく日本を代表する黒毛和牛のトップランナーとして君臨し、歴史と伝統を誇るブランド牛ならではの課題が見えてくる。

松阪牛発祥の地に見る、松阪牛のいま

松阪牛肥育農家の平均年齢は64歳と高齢化しており、後継者問題は深刻である。畜産関係の後継者問題は松阪牛だけではなく全国的な問題になっているが、特に特産松阪牛を支える少数肥育農家の減少は松阪牛界隈にとって切迫した課題となっている。

松阪市内で肉用牛を少数肥育(1〜9頭)している小規模肥育農家は2010年には9経営体いたが、2020年にはその半分近い5経営体まで数を減らしている。そのような流れを受け、松阪牛の肥育対象となる自治体では、特産松阪牛を振興するために補助金で支援するなどの取り組みを行っているものの、農家の廃業に歯止めがかかっていないのが実情だ。

松阪市における肉用種の肥育中の牛の飼養頭数規模別経営体数(農林業センサスより。松阪牛以外も含む)

松阪牛発祥の地と言われている松阪市飯南町深野でも、伝統的な方法で特産松阪牛を肥育する小規模農家が2022年8月現在で残り1件となっており、風前の灯火となっている。松阪市はそのような状況を受け、松阪牛発祥の地で長い間灯してきた火を消さないために、新たな支援案を検討していることが2022年6月に明らかになった。

特産松阪牛を飯南町深野で肥育している小規模農家(10頭未満)を対象に年間50万円の助成を行う予定となっており、支援を受けた農家にはメディアなどの取材対応を行ってもらうことで松阪牛の需要拡大や観光客の誘致を狙っている。

松阪牛発祥地である飯南町深野の風景。日本棚田百選にも選ばれた「深野のだんだん田」がある地としても知られている

深野に残る特産松阪牛の小規模農家・田中さんの声

「昔は同業者も多かったので張り合いもあったと思うんですけど、徐々に後継者もいなくなっていって、農家の数も少なくなってしまいましたよね。生き物を扱う仕事なので、365日見ていなきゃあかんというのが難しいのかな。今の時代は家族との時間や自分時間を大事にしたい人が多いもんでさ」

新たな支援事業の対象となった田中秀治さんは、そのように松阪牛肥育農家の後継者問題について話してくれた。田中さんは伝統的な肥育方法を行っている松阪牛農家の3代目。もともと公務員として働いていた田中さんは、先代である父親が亡くなったことを受け、家族の力を借りながら松阪牛の肥育に携わるように。退職を機に松阪牛専業となり、今は6頭の牛を特産松阪牛目指して育てている。

田中さんの自宅近くにある牛舎を訪れて驚くのは、匂いがほとんどしないということ。中を見ても手入れが行き届いており、風通しも良い。牛1頭当たりに与えられているスペースも広く、飼われている牛はどれも穏やかで、人に慣れている。

「牛にストレスを与えないためにも、朝はまず牛の状態をチェックすると同時に糞尿の処理をしたり、清潔にすることを心掛けています。ここまで手を掛けることは、数が少ないからできるのかもしれませんね。頭数が多いとこういう風にはできないと思います。

特産松阪牛っていうのは私たちにとっても特別なんですわ。市場にも数パーセントしか出回らんもんでさ、特産松阪牛の牛飼いも減っていますし、そういう意味でも松阪市の方でも守って伝統を続けていこうと考えられているんだと思うんです」

先代である父の死を契機に松阪牛肥育農家への道を進んだ田中さん

ただ農家の経営を続けていく上で、足元の状況が厳しいことは田中さんが身をもって痛感している。

「飼料代も上がっているんだけど、兵庫の子牛の値段も高止まりしてさ、昔に比べると値段が倍近くになっているのはね……。やっぱり子牛の農家もここらと同じで高齢化で減ってきてますんでさ、出品頭数も減ってきていて、その中からセリで取り合いになるのでね」

小規模も大規模も、特産もそれ以外も、子牛と飼料代の価格高騰に頭を悩ませている。ただ、より影響を受けているのは、子牛の値段が高く、長期肥育が求められる特産の農家である。しかし、経営的に厳しかったとしても、田中さんには特産松阪牛にこだわりたい理由がある

「もともとはね、正直、特産を残したいとか、そこまで深く考えていなくて。親父が亡くなったので、まずは残った牛を育て上げるということが始まりだったもんで。でも、そのうち親父がやってきたことの重みや思いを徐々に感じるようになってくるんです。その上で、深野の牛飼いが減ってきていることもあって、自分としても伝統の継承、歴史を残すことをやれる間はしていかなあかんな、という気持ちが今は強くなってきました」

松阪市としても、深野には離農したことによって残った牛舎がいくつかあるため、今回の支援事業によって新規就農者が現れることへの期待は強い。

そのためにも特産松阪牛のことを知ってもらうことが大切だと田中さんは考えている。

「自分が元気なうちはね、頑張っていきたいと思います。でも、動けんようになったときに、継いでくれる人がいるとありがたいですよね。いろいろと周りが動いてくれていますけど、その中で特産松阪牛の価値というものが幅広く伝わって、皆さまに意識してもらえれば嬉しいです。家族同様に育てている牛飼いがいるということもね」

手入れが行き届いた牛舎で、毎日牛と向き合う

松阪牛の名声を築いた“特産松阪牛”の現状

かつての松阪牛は田中さんのように兵庫県産の子牛を肥育することがスタンダードだったが、今では特産松阪牛にはなれない九州産但馬牛系の子牛を肥育する農家も増えている。20世紀の松阪牛の多くは現在の特産松阪牛と呼ばれているものであったのに、時代の流れもあり現在は極少数派となってしまっている。

「今は大規模短期肥育のところが増えたこともあって、特産松阪牛が埋もれてしまっていますよね」

小林央児さんは松阪牛の現状をそのように語る。央児さんは特産松阪牛にこだわった精肉店と料理店を併設している「おう児牛肉店」を経営。精肉店の中では枝肉になる前の牛を見て買い付ける人は珍しくなっているが、央児さんは今でも直接農家のもとまで足を運び、牛を買い付けるということを続けている。

「自分で見てチェックしないと嫌なんですよね。いろいろと見せてもらいながら、旬の牛さんを選ばせてもらったりして、これはもうちょっと待った方がいいかな、とかもあります。単純に肥育日数が長ければ良いというものではなくて、特産松阪牛はいかに健康的に肥育日数を伸ばせるかが大事。最近ももうすぐ60カ月をこえる牛さんを見ましたけど、まだまだ餌をしっかり食べていましたよ」

央児さんのように、特産松阪牛にこだわる牛肉店は今では限られたものとなっている

まだ特産松阪牛という呼び名が無かった20世紀のころも、肥育期間が長い松阪牛は価値が高く、今よりも牛肉屋から求められていたという。そのため、肥育農家もそれに応えようと技術を磨いてきた。ただ、今は当時と状況が一変している。但馬牛を中心とした兵庫県産の子牛と、その他の地域の子牛とでは成長の仕方にも差がある。但馬牛は長期肥育に向いている一方で、他の地域の牛と比べると成長が遅く体が大きくなりにくい。短期肥育で大きくなる子牛を育てた方が効率的な生産を行うことができることに加え、今は松阪牛を名乗るために子牛の出生地は問われないので、経営のことを考えればコストが掛かる兵庫県産但馬牛にこだわる必然性はない

脈々と受け継がれてきた松阪牛のオリジンを確実に受け継いでいる特産松阪牛はそうして存在感を失いつつある。早くからそのような状況を危惧していた央児さんにとっては、歯がゆい状況が続いている。

「特産松阪牛のことを知らない人が多いので、少しでも広めようと飲食店を併設した牛肉店を始めたんです。やっぱり特産とそれ以外を比べると味が全然違うんですよ。価値を知ってもらわないといけないと思うのですが、個人ではやるには限界があります。松阪牛に限らず、どこの農家さんも大変な苦労をされて育てられているとは思うんです。ただ、特産松阪牛農家さんの覚悟、苦労、愛情を僕はずっと見てきているので、それを無駄にしたくないんです。何とか日の目を見てほしいのですが」

歴史を紡ぐ使命を抱えた老舗牛肉料理店の動き

肥育農家と共に“松阪牛”の名を高めることに一役買った存在として、牛肉料理店は欠かすことができない。松阪には数多くの松阪牛料理店が集っており、著名な肉処として「金・銀」の存在が広く知られています。「金」は松阪における肉文化の草分けとも言われている1878年創業の「和田金」。「銀」が1902年創業で、今年の9月で120周年を迎える「牛銀本店(以下牛銀)」である。

城下町である松阪市魚町の歴史的景観に溶け込む趣のある牛銀本店の建屋

現在の牛銀は文化財の建物が立ち並ぶ松阪市魚町に、純和風建築の旅館を改装した店舗を構えている。1932年に建造された木造三階建ての店舗は歴史風情と文化を感じさせ、趣のある空間で最高級松阪牛のすき焼きを堪能することができる。 現在は3代目の長男である小林甲児さんが4代目として老舗牛肉店を切り盛りしている。

「高校を卒業するころには親父に『東京へ丁稚に行かへんか?』って言われて、東京の老舗鉄板料理屋に修業に出ることになりました。私も当時は先々のことが漠然としていましたし、東京への憧れもあって、家を出るきっかけも欲しかったんですよね。だから、牛銀を継ぐとか考えてのことではなかったんですよ」

そうして甲児さんは東京で約10年間修業することになり、同じ料理店ながら牛銀とは異なることが数多く存在することに、カルチャーショックを受けた。

お客様に対する姿勢ももちろんですが、従業員に対する姿勢も全然違いました。この経験は自分が牛銀を継いでからも、しつらえ、サービス、料理など、今も参考にするところがあります」

牛銀のすき焼きと同様に、お客様の前で調理をするというのは鉄板料理屋も同じで、甲児さん自身も修行中にお客様の前で調理を行っていた。

「見られているのは手元で、顔を見られているわけではないんですけど緊張しますよね。私が最初にやらせていただいた常連のお客様は、その後松阪に来ていただいただけではなく、結婚式にも出席いただくような縁になって。結構辛口なコメントもいただきましたけど、その言葉を思い出すとね、また初心に戻ってやってみようかなって思えるんです」

牛銀に戻った後は、家業に関わることは雑用も含めて自ら積極的に取り組んだ。しばらくすると先代の体調不良が続いたこともあり、甲児さんは2014年に社長就任、2016年には45歳という若さで牛銀4代目を継承。以降はかつてより叶えたかった風通しの良い組織づくりに着手。

「昔は社長の鶴の一声というのが多かったですけど、そういうのは変えていきたいなと思っていたんです。それ以外にも、昔は調理場で罵声が飛び交っていたりというのが普通だったのかもしれないですけど、そういう環境はずっと良くないと思っていたので」

変革をしていく中ですべてが万事順調というわけではなかった。それでも従業員の中に同じ志を持った人がいたことは大きな助けに。意見を出し合うことで方向性と目標が決定し、少しずつ従業員の理解を得られるようになり、牛銀の雰囲気は変わっていった。

働きやすい環境をつくることはそのままサービスの向上に直結しますが、甲児さんが見据えていたのはそれだけではない。

(松阪牛の)“すき焼き”は松阪に残していかなければならない文化だと思うんです。それを提供できる人がいなくなってしまったら、どうしようもないですよね。牛銀というお店がすごく厳しくて、人の入れ替わりが多いみたいなイメージを持たれてしまったら、そんなお店に行きたい、働きたいとは思わないじゃないですか。従業員の支えがあって成り立つことなので、一緒に同じ目標を持って、前を向いていきたいなという気持ちがあるんです」

特産松阪牛に対する老舗牛肉料理店の葛藤

老舗として伝統を継承していくためには、良質な肉を今後どのように確保していくかということも、牛銀にとって大きな課題としてのしかかっている。

「以前は飯南、飯高地区に松阪牛の肥育農家さんがたくさんいて、そこの博労さんを通じてほとんど仕入れていたんですけど、その方も引退されて、農家さん自体も少なくなってきました。やっぱり発祥の地ということもあるので、そこから仕入れることができるといいんですけど、全てというのは現実的には難しいです」

特産松阪牛に関してはその絶対数が減ってきていることも影響して、牛銀としても常に提供するということが難しい状況にはなっている。それだけに、牛銀は農家と密接にコミュニケーションを取りながら優れた肉を仕入れる努力は惜しまない。

「例えば、あと2日で900日になるんだけど、今が一番良い状態で、特産に優るお肉になると判断できれば入れさせていただいています」

ただ一方で、特産松阪牛への強い思いが失われたわけではない。

「短期肥育で美味しい松阪肉はもちろんありますけど、特産にこだわっていきたいんですよね。やっぱり長期肥育すると、お肉が熟成されて美味しくなるので」

牛銀を訪れるお客様には特産松阪牛を求める人は多い。常連客の中には農家にまでこだわりを持っている人もいるくらい、かけがえのない特別な存在となっている

「やっぱり一度食べると忘れられないんでしょうね」

牛銀4代目である甲児さんは特産松阪牛に対する強いこだわりと思いを抱えている

特産松阪牛がレガシーと呼ばれる日が来る?

特産松阪牛に関しては、地元松阪の人でも知らない人が意外に多い。先述の通り、貴重がゆえに食べることができる機会は非常に限られており、老舗と呼ばれるような牛肉料理店でも、入荷のタイミングが合わないと特産松阪牛を楽しむことは叶わない。

改めてにはなりますが、松阪牛の大多数を占めるのは「特産以外の松阪牛」である。我々が食べている松阪牛のほとんどは特産松阪牛ではないし、食肉格付けが松阪牛の条件になっていないとはいえ消費者が望めば最高級A-5ランクの松阪肉に舌鼓を打つことは難しいことではない。多くの肥育農家が良質な松阪肉を提供しようと懸命に育てているおかげで、松阪を代表する特産品として多くの人にその魅力を届けることができている。

ただ、最高の和牛と評価されてきた歴史の源泉であり、ここまで価値を高め守り抜いてきたのは、伝統的な肥育法で育てられた特産松阪牛があってこそ。そんな松阪牛を通してシビックプライドが醸成されてきた。しかし、その現状は必ずしも安泰とは言えない状態にあることは、ここまで記してきた通り。いずれ伝統的な肥育方法が消え、特産松阪牛がレガシーになってしまう未来は決して非現実的なものではない。

「僕にとって松阪牛といえば、特産松阪牛なんですよね。比べると全然違うんですよ。年配の方々に特産松阪牛を食べてもらうと、『懐かしい味だな。昔はこういう肉ばっかりだったよね』って言うんですよ。それはそうですよね、昔はみんな今でいう特産松阪牛だったんだから」

央児さんのこの言葉は、今の松阪牛の現状を端的に言い表している。

伝わりきっていない松阪牛の情報

⸺霜降りが売りの和牛は脂が多いせいで、口に脂が残り後味がしつこくて、健康に悪い

赤身肉の流行とともに、黒毛和牛に対してそんなネガティブなイメージを持つ人も少なくない。高級と呼ばれる黒毛和牛の肉は霜降りの美味しさをアピールしてしまうため、その傾向は顕著といえる。結果的に松阪牛を食することなく、悪いイメージを引きずってしまう例は後を絶たない。

松阪牛に携わる方々にしてみれば、上記のようなイメージは完全に誤解だと口をそろえる。脂と赤身の割合だけ見れば、確かにA-5ランクに代表されるような牛肉は脂の占める割合が多いことは否定できない。しかし、そもそも黒毛和牛は悪玉コレステロールを減らす働きを持っていると言われる不飽和脂肪酸の割合が、その他の肉牛に比べて高い。不飽和脂肪酸は飽和脂肪酸に比べ融点が低く、一般的な和牛の脂肪融点は25.9℃程度であるのに対し、松阪牛は17.4℃と言われており、非常に低い。そのため口の中に入れると脂は速やかに溶けていくため、後味はむしろサッパリしていると言ってもいい。肥育期間が長いほど、不飽和脂肪酸の含有率が増えていくという研究結果もあり、特産松阪牛は根付いた悪いイメージとは相反する存在である。

後継者不足、特産松阪牛の減少、歴史と文化の継承、正しい情報と魅力の周知。いずれも今後につきまとってくる未来への宿題です。松阪のシンボルであり、日本を代表する黒毛和牛である“松阪牛”は、スポットライトを浴びる存在で浴びながらも、必ずしも日の当たる場所にいるわけではないようだ。

【参考文献】

  • 松阪牛協議会, 松阪牛とは, (参照2022年8月1日)
  • 農林水産省, 「農林業センサス」をもとに図表を作成, (2022年8月23日取得)
  • (有)伊勢志摩編集室, (1988年), 松阪牛─牛飼いの詩, (有)伊勢志摩編集室
  • 中日新聞三重総局, (1998年), ザ・松阪牛, 中日新聞本社
  • 大川 吉嵩, (2008年), 三重県の食生活と食文化, (株)調理栄養教育公社
  • 松本 栄文, (2011年), SUKIYAKI(すき焼き), (株)カザン