【今回の取材地】
総人口 1,155人
(推定人口、2023年8月1日)
人口密度 5.51人/㎢
隣接自治体 大沼郡金山町、三島町、会津美里町、南会津町
「こづゆ」という奥会津地域で食べられる郷土料理がある。
江戸時代後期、会津藩藩主が食した武家料理として食べられたのが始まり、とされている。
干し貝柱を始めとした海産物から出汁を取り、豆麩(まめふ)・にんじん・椎茸・里芋・ぎんなん・きくらげ・糸こんにゃくなど、日持ちする食材が多く使用されているのが特徴だ。
こづゆの誕生には、海から離れた奥会津の地理的な制約と、物流の歴史がかかわっている。遡ること数百年前、江戸時代中期から明治30年代にかけて、北前船(きたまえぶね)と呼ばれる船が物流の中心を担っていた。
大阪と北海道間を日本海側に沿って往復する北前船は、新潟港を経由。数百キロ離れた奥会津へはこづゆに使う干し貝柱や、ニシンの山椒漬けに使う身欠きニシンなどが運搬されていた。これは、長い日数をかけても腐らないように加工したものである。
そんな中でもこづゆは、会津藩8代藩主松平容敬(かたたか)が食べたことから武家料理として広がり、次第に庶民の味としても親しまれるようになった。海産物の乾物という希少な具材を使っていることもあり、お祝い事の際に食べられることが多いこづゆは、幸せともてなしの象徴的な料理として愛され続けている。
今回の舞台は、そんなこづゆを作ってくれた方がお住まいの福島県昭和村。
人口1200人に満たないこの村だが、社会増(転出者と転入者の差分)は上昇傾向で、移住先としても注目を集めている。一方で全国市町村の高齢化率では上位8位に位置し、高齢者は全体の約55%の数にも上る。
しかしそんな環境だからこそなのか、この村には昔ながらの暮らしや考え方が残っている。厳しい冬を越えるために保存食を活用したり、季節折々の自然の恵みを採るため山に足を運んだり、空を見て天気を読む猛者がそこらじゅうにいたり。
こんな生活から生まれた料理はとても質素だが、ここで生きてきた人の知恵が見え隠れして、一つひとつの味に先人たちの歩みを感じ取ることができるのである。
人が少なくなれば、昔ながらの慣習に倣う生活様式も、昔ながらの料理を作ることができる人も、次第に減っていくことを想像してしまうが、ここでは若者が地元の高齢者と交流し、お茶飲みがてらに生き方のヒントやお料理の仕方を学んでいる。
それはまるで自分のおじいさんおばあさんと話しているような、望郷の時なのである。